日本の古い書物に「古事記(こじき)」〔和銅5年(712年)完成〕という書物があります。その古事記の国生み神話の中に「身1つに面4つ有り、それぞれに名前が付ている」と記されています。
この神様が温泉神社のご祭神(さいじん)です。
社伝によると、大宝元年(西暦701年)島原半島 雲仙の地に祀(まつ)られたと言われています。
鎌倉時代、弘安4年(1281年)福岡県博多に蒙古襲来の時、身一つに面四つの勇士が現れ、敵をあっという間に倒しました。名を尋ねると肥前の国温泉山の者だ。と言い残し立ち去りました。後に、温泉神社の神だとわかり、人助けの神、武道の神として九州の大名が年1度参拝するようになったそうですです。
その後、雲仙に祀られた神社はたくさんの人に親しまれていたのですが、何せ今と違い昔は雲仙の山は道も険しく女人禁制(にょにん)であったため、ふもとに誰もが気軽にお参りできる神社をと、この加津佐温泉神社が祀られました。
最初は現在の加津佐町上登龍(かみとうりゅう)〔昔は神逗留(神様がとどまった所という意味)〕という所に祀られていたのですが、島原の乱のキリシタンによる焼き討ちや、加津佐の大火事による焼失に合いながらも現加津佐町愛宕町付近(昔は地名を元四面と言った)→現加津佐町役場付近→現在の地に遷されました。
古くは筑紫国魂神社(つくしくにたまじんじゃ)、四面宮(しめんぐう)と称し、地元では今でも、お四面様(おしめんさま)、お四面さん(おしめんさん)と言われ親しまれています。